『犠牲者意識ナショナリズム』

私はなぜか小学生のころから戦争や虐殺問題に関心があって、意識的に関連本を買ったり借りたりして読んだり、ドキュメンタリーや映画を見たりしてぼちぼち30年になろうとしています。

 

そしてずっともやもやを抱えていました。

太平洋戦争での空襲や原爆の被害、特攻隊の悲しみを延々と訴えるのはわかるんだけど、なんで被害者面だけしてるの?太平洋戦争引き起こしたの、自分じゃん?朝鮮半島や台湾をはじめとする占領下の人の名前を奪って、言葉や文化を制限したの、当時の日本政府じゃん?

いや、普通に気持ち悪いでしょこんなの。

そこで読んだこちらの『犠牲者意識ナショナリズム』。

 

 

私は全く知らなかったんですが、敗戦後の悲惨な大陸引き上げを日本人が書いた本が米国で取り上げられたことに、韓国の一部の方が怒っていたそうです。

個で見れば、悲惨なできごとで、そういう辛い体験を知ることは反戦につながるし、いいとおもいます。が、公として「被害者面する日本が許せない韓国」もわからんでもないわけです。「おまえたちは加害者だろ」という意識がずっとあるわけで。

でも今今の若い韓国人は別に日本に直接攻撃されていない。ただ「かつて韓国は日本に支配された犠牲者」という民族的犠牲の経験をもとに「犠牲者民族の一員だから何をしても許される」という方向に向いているわけです。

 

日本人もよくやるよね、これ。

私は血縁に原爆被害者はいません。が、日本人として原爆には反対しなきゃと思っているし、日本人である私が発言しているから説得力が増すと思い込んでいる。重ねて言いますが、私は広島出身でもないし、自身どころか親戚にも原爆被害者はいないのに!

これは立ち止まってちゃんと考えなきゃいけない問題だと思います。

 

また、犠牲者に入れ込むことについても言及されています。

当時の日本政府に赤紙招集され、戦地で無残に死んで、勝手に英霊化されたりするの、自分がそうされたらと考えたらたまったもんじゃないんですよ。ただ巻き込まれただけの犠牲者を美化して、勝手にストーリー作られるなんてまっぴら。

総理の靖国参拝についても、されるべきは政府から土下座と詫びであって感謝ではない、と思います。

 

文中に「道徳について我々に説教できる民族は地球上どこにもいない」とありましたが、本当にそうだと思います。ただ被害者面して声高に叫んだり、加害を見なかったことにしたり、被害者を崇拝したりするのをやめるきっかけになる一冊。

推薦図書として選ばれて、幅広く様々な人に読んでほしいです。